感動のプラセンタ注射
世相を背景に、お金もうけをしたい人たちは、ワンパターン化した健康観を非常に巧みに利用しているのです。
「アトピービジネス」という新語が生まれています。
アトピー性皮膚炎の周辺を取材していますと、患者さんの不安をあおり難病扱い≠しながら巧みに商売をする業者の存在を思います。
それは非常に巧みです。
現代人は忙しくなりすぎて、毎日の暮らしのなかであれこれ努力しながら健康になっていく、という回りくどさにつきあえなくなっています。
先ほど話しましたように、本当は回りくどい一つひとつの過程が、健康というものをつくっていくはずなのに……。
でき上がった健康ではなく、その過程が大切なのに、結果としての健康、自分が描いた健康を実現させるために簡単にお金で解決しようとしていることが、一部の健康産業を太らせているのです。
地域での健康づくり運動私たち一人ひとりが、しっかりとした健康観を持つ大切さを感じます。
それには、正しい情報を選択する日、時流に流されないしっかりした健康知識、健康へのスタンスが必要になります。
ぼくたちが住む長野県は、日本でもっとも長寿(男性一位、女性四位)ですが、一人当たりの老人医療費(原則として七十歳以上)は全国最低なんですね。
その理由はなぜかIという調査研究を、飯島さんともご一緒にしましたね(一九九六年度)。
そのなかで、他の都道府県に比べ地域医療・在宅医療が充実していて平均在院日数(入院している日数)がかなり短い、在宅死亡率もずいぶん高い、生きがいとしての老人就業率も高い、自分の家を持っている人が多く、一人暮らしの老人も少ない、多様なものを工夫して食べていたなどが浮かび上がりました。
さらに重要なのは、冒演にも話しましたが、長野県には保健補導員というヘルス・ボランティアの組織が百二十の全市町村にあって、女性の地域住民が保健婦さんたちと一緒に健康づくり運動に一年あるいは地域によっては二年ずつかかわることです。
そのなかで、健康への正しい知識をえて健康に対する意識改革が行われていくのです。
確かに、都道府県全市町村に地区の一般女性からなる保健補導員制度が網羅されているのは長野県だけで、その人数は年間約一万四千人にのぼります。
地区の自治会の役員化してしまい、順番で仕方なく担当する……という面も捨て切れませんが、「順番が回ってきたら一生懸命やろう」との雰囲気があり、保健補導員のOB会まである自治体も多いです。
実は、茅野市で保健補導員の副会長の人が、毎年検診を受けていたのに、スキルスという胃がんになりました。
内視鏡で見つけたときには、かなり進行していたのです。
ご承知のようにスキルスは予後がよくない。
しかも若い人に多い。
この方は手術をしましたが、半年ほどで亡くなりました。保健補導員の人たちから、「一生懸命に健康づくり運動や健康診断の大切さを訴えてきた。
しかし、それを推進してちゃんとやってきた人が手遅れの胃がんになった。
こういう運動をしている意味がないのではないか」という声がでました。
これに対して保健補導員のみなさんと保健婦さんたちが、長い時間をかけて話し合いました。
結局、自分たちは長生きという結果だけを望んでいるのではない、では健康とは何か―を真剣に議論したのです。
この結果は、「見つめてみよう私たちの命」という恒例の勉強会に結晶しています。
もう十六年もの間、毎年十二月の土曜日の午後に勉強を続けているのです。
これは、茅野市という地域で行っているのですか。
そうです。
保健婦さんが中心になって保健補導員の人たちと開くのです。
茅野市の「健康づくり運動」が落とし穴にはまらないでうまく成長を遂げてきたのは、一方では人間の死という、健康とは反対側にありそうなものを健康という概念の延長のなかで見る習慣があるからでしょう。
健康補導員になると、一年に一回は自分たちの命とか死ということを勉強するようになっています。
健康というのは、あるひとつのイメージ、パターンで区切られたものではなくて、生命の延長上にあるのです。
健康そうに見えるときも、病気のときも、死が間近に迫っているときにも、それぞれのときに合わせて、健康というのがありえるのではないかという考え方に到達していくのです。
諏訪中央病院での四半世紀を超える勤務のなかで出会った人々との交流を措いているのですが、多くの話は患者さんが亡くなっていく過程をつづっています。
よく読んでみますと、死そのものよりも、最後の最期まで、亡くなるまで生きている、その豊かな生き方、つねに希望を持って生きていく姿が行間ににじんでいます。
ぼくは、死そのものに対して「いい看取りをしよう」という気持ちで『がんばらない』を書いたのではないのです。
一日いち日、一時間いち時間を、きちんと希望を持って生きている結果としていい死があるのですから、生きている一時間前まで、この人が健康だったのではないか……ということを訴えたいのです。
四十九歳のなお子さん。
卵巣がんで死期が迫っているなかで、亡くなる三日前に、自らの願いで自宅から往復六時間もかけて新婚まもない時代を過ごした大鹿村(長野県下伊那郡)へ寝台タクシーで家族とともに小旅行をするのです。
私ども病院のスタッフもつき添います。
なお子さんは自分の容体を全部分かっていて、「大鹿村へ行きたい」と言う。
最後に子どもたちに、村の景色を見させて「できたらそこに散骨してほしい」と語る。
なお子さん色の人生の選択をしたのです。
ぼくの義理の親、女房の親父が肝臓がんで亡くなっていくときも、自分の意志を貫きました。
肝動脈塞栓術という治療を三年やって、結果は非常にいいのに自己選択で中止しました。
やめる理由は「からだはずいぶん弱ってきた。
最期まで自分らしくしていたい。
だから、最後の最期まで病気と闘っていたくない。
自分らしくしているために余力を残しておきたい」ということだったのです。
これは、亡くなった後で分かったことです。
自分らしくしていたいというのは、もっと哲学的な意味の「自分らしく」だとぼくは思っていたのですが、実は非常にささいな「自分らしく」だったのです。
彼は総入れ歯でしたが、体力がなくなってご飯を一口しか食べられなくても、一口でも食べると入れ歯を洗う。
「ぼくたちが洗ってあげるよ」と言うと、「いや、入れ歯のことは自分でやりたい」と訴える。
ご飯を食べ終わると「立たせてくれ」と頼む。
立つ力がないのに、ベッドの先につかまって足踏み練習をする。
終末期のリハビリテーションを気力で自主トレしていたのです。
自分が「いよいよだ」と知っているのにもかかわらず、最期まで「自分でトイレに行きたい」と言って自力で行こうとするのです。
彼の自分らしくというのは、それだけなのです。
亡くなる前日、家族みんなで歌をうたい、「風呂に入れてくれ」と自ら希望して娘に背中を流してもらって、みんなに感謝を言って亡くなっていきました。
義父を見ていて、「健康だな」と恩いました。
考え方がですね。
死を直前にしたなお子さんもそうです。
亡くなる直前まで健康というのはありえると痛感しました。
くどいようですが、ぼくは健康というのは、でき上がったひとつのものとして考えずに、プロセスだと思います。
精神と肉体のバランスのなかで、希望へ向かっていく過程に健康という姿があるのではないかと考えています。
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